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絶望のなかの希望―『わたしを離さないで』(2010)

 

 

 

※このレビューには物語の結末が含まれております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

主人公のキャシー、トミー、ルースは、臓器提供のために生みだされたクローン人間である。数度の提供がすめば死をむかえ、その短い一生を終える。人間としてではなく臓器をもった道具のような存在にすぎない。全編をとおして暗いタッチで描かれ、それは彼らが背負う未来のない運命、“死”を象徴しているかのようだ。

しかし、この映画は彼らの“死”を描いた作品ではない。ここには彼らの力強い“生”がある。どんなに絶望的な運命であろうと人間は生きようとする。“死”におおわれた世界のなかでも“生”へとむかう人間のすがた、それがこの映画が伝えたいことだ。

物語の終盤で、キャシーとトミーは長年の愛をみのらせる。この頃のトミーはすでに提供をおこなっており死に一歩ずつ近づいていた。二人はかつてデタラメだと言っていた「本当に愛し合う二人には提供までの猶予期間が与えられる」という噂を信じて申請にむかう。

ただ、そんな猶予期間は存在していなかった。幼少期をすごした寄宿学校の先生からその事実が告げられる。帰り道の途中で車をおりたトミーは運命をふりはらうかのように泣き叫び、彼を抱きとめるキャシーだった。

彼らの希望が打ち砕かれるこのシーンは観る者のこころを苦しくさせる。愛する者と一緒にいられず死を免れることはできない。その悲しみが痛いほど伝わってくる。

しかし先ほど述べたように、ここには生きようとする人間の力強さがある。トミーはキャシーとの愛を証明するためにずっと絵を描きためていた。たくさんの絵を先生に見せて必死にうったえるすがたは、愛する者と生きたいという強い想いのあらわれだ。

そもそも信じていなかった噂を信じようとしたのはなぜか。それはこの噂が彼らにとっての希望の光だったからだ。“死”がすぐそこに迫っていても、それに引きずりこまれることなく最後まで希望を胸に“生”を目指そうとしたのだ。

二人は“死”しかない自らの運命をなんとかして“生”に変えようとした。申請のために通された部屋で先生たちと向かいあう二人のすがたは、希望をもって絶望に勇敢に立ち向かうすがただった。希望をもった人間はゆるがない。それが人間の真の強さなのだろう。

キャシーたちは救われず、絶望的な運命を受け入れるしかない。それでもこの映画には絶望よりも希望の輝きのほうが色濃くうつしだされている。希望をもって“生”へと向かう人間の強さを私たちにうったえかける。

 

わたしを離さないで

Never Let Me Go/2010/英、米/105分/ 20世紀フォックス映画/監督:マーク・ロマネク/出演:キャリー・マリガンアンドリュー・ガーフィールドキーラ・ナイトレイ