他者への救い-映画『白河夜船』(2015)

 

安藤サクラ演じる主人公・寺子は自室のベッドで眠っている。そこに携帯電話の着信が鳴るのだ。「わたしの恋が間違いならば、このベルさえも聞こえないように眠りつづけたい」と彼女の語りが入る。 

この冒頭のシーンだけで寺子の不安が的確に表されている。秀逸であり印象的なシーンだ。なぜ彼女が不安を抱えているかといえば、岩永と不倫をしているからだ。不倫関係が正しくないと分かりながらもつづける理由がある。岩永の妻は植物状態で、病院の付き添いや親類などの現実的なかかわりを、岩永ひとりでこなさなければならない。そういった現実から逃れさせてくれる存在が私(寺子)なのだと、寺子は作中で話している。つまり、岩永を支えるため不倫関係をつづけるが、果たしてその関係が正しいかどうか分からない。それが寺子の不安なのである。

白河夜船という映画は、寺子が不安のある現実から逃れるために眠りつづけるのだが、次第に現実か夢かも曖昧になっていく。そして彼女が現実を生きはじめるまでの過程を、繊細に描いている。

この映画全体を覆っているのは「現代人の不安」である。寺子もしかり、作中の現代を生きる人々も不安を抱えている。ここでキーワードとなるのが「添い寝屋」だ。

寺子の親友しおりがこの仕事をしている。耳慣れない言葉だがそのままの意味で、眠る客のとなりで添い寝をするという仕事だ。しおりによれば、その客がはっと目を覚ましたときに微笑んで水を渡したりするため、自分は眠らずに起きておく。この仕事を求める客は少なからずいるのだという。

この仕事の描写から、現代人の多くが不安を抱えていて、それを他者に安心させてもらいたいという願望を持っているということがうかがえる。現実から逃れている眠りの時間を誰かに見守ってもらいたい。急に目を覚まして不安な現実に引き戻されたとしても、となりに許してくれる誰かがいるという安心感。そのような願望を持った現代人の心理が「添い寝屋」という仕事の存在に上手く表現されている。ここで重要なのが、私たちは他者を求めるということだ。

寺子が岩永との関係に迷いを持つのと同じく、私たち現代人は自分の行いに自信を持てないときがある。そんなとき、私たちは他者を必要とする。誰かに「正しいよ」「大丈夫だよ」と言ってもらえさえすれば、自信となり不安は解消される。寺子も現実を生きはじめるきっかけとしてある人物が関係しているのだが、それは映画を観てもらいたい。

私たちは不安を抱えながら現実を生きる。その不安に耐えきれなくなったとき、他者に救いを求めてしまう。それがこの映画のテーマだ。絶対的な正しさが存在しない現代社会において、他者は一筋の光を差し込んでくれる存在となりうる。そんな希望を見出せる映画である。

 

 

白河夜船

2015/日/91分/PG12/コピアポア・フィルム

監督:若木 信吾/出演:安藤 サクラ、谷村 美月、井浦 新

http://shirakawayofune.com/